目指すのは「サラリーマン漁師」(島根県海士町)海士いわがき生産株式会社|地域活性化100

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目指すのは「サラリーマン漁師」
海士いわがき生産株式会社
島根県海士町

島根県海士町の地域の概要

島根県隠岐郡海士町は島根半島沖合約 60Km にある隠岐諸島のうち、中ノ島にある 1 島 1 町の小さな島。対馬
暖流の流れる豊かな海と、豊富な湧水に恵まれた自給自足のできる半農半漁の島。人口の流出と財政危機の中で、
2005 年に町長は給与の 50%カット、課長級は 30%カットを断行した。その資金を元手に最新の CAS 冷凍技術を
導入し海産物(イカ、岩牡蠣等)のブランド化を行ったり、こうした産業振興等や島外との積極的な交流により
2004 年から 11 年までの 8 年間で 310 人の移住者(I ターン)、173 人の U ターンを生み、島の人口の 20%を移
住者が占めるまでになっている。地域活性化モデルとして全国から注目されている。

取り組みの概要:目指すのは「サラリーマン漁師」

平成 14 年、海士町に U ターンした現社長
の大脇氏が海士町に I ターンをした友人らと
始めた岩牡蠣の養殖を生業とする株式会社。
岩牡蠣の養殖自体が珍しかった時期に岩牡蠣
の養殖を開始、「海士のいわがき春香」と命
名してブランド化をし、現在ではネットでの
直販をはじめ、東京都心のオイスターバー数
十軒に卸すなど、生産体制が追いつかない程
の売り上げを上げている。
特に海士町に I ターンで入ってくる人を積
極的に雇用しており、これまでに 7 名を受
け入れている。そのうち 2 名はリタイアし
てしまったが、最終的に残った 5 名のうち 2
名は牡蠣養殖業として独立している(うち一
人は年間 600 万円程の水揚げをしている)
また、海士町との協力体制も強い。創業当
時から港の事務所や作業場として町の建物を
貸したり、「春香」という名前を町として商
標登録をして、町と業者が一体となって「海
士町のブランド」として宣伝をするなど、行
政と漁業者の良い連携が行われていることも
大きな特徴である。

インタビュー:大脇 安則 氏(海士いわがき生産株式会社 代表取締役社長)「目指すのは「サラリーマン漁師」」

目指すのは「サラリーマン漁師」
大脇 安則 氏
海士いわがき生産株式会社 代表取締役社長
海中に吊るされるいわがき「春香」
いわがき「春香」が養殖されている湾
漁師が銀行で借り入れをしようとしても容易に借りることはできな
いのだそうだ。漁師という職業が収入的に安定していないからだ。そ
うした状況をなんとかしたいという想いから大脇氏が目指すのが「サ
ラリーマン漁師」である。
岩牡蠣養殖の開始当時、漁協組合員の生活は厳しかった。地元の漁
師で岩牡蠣養殖を始めてもやめてしまう人も多かった。岩牡蠣養殖は
緻密な管理と世話が必要とされたからだ。大脇氏は数々の試行錯誤を
経て、現在では「サイズ、個数、その場所」までを完全に把握する「ト
レーサビリティー」を確立した。
1 本のブイに 10000 個から 15000 個の牡蠣が養殖されているが、
途中でサイズと何個を把握するために一回引き上げてつけ直す作業ま
で行っている。これまで自然環境に左右されがちだった漁業を安定的
なものとし、供給量にも自信を持って営業活動が出来るようになって
「海士のいわがき春香」のブランド価値を一層高めている。「管理可能
な部分はすべて管理している。これをやってはじめて「養殖」だ」と
胸を張る。
大脇氏は I ターン人材を積極的に受け入れている。「専業でやって。
これだけ水揚げがあって、しっかりと生活できるという事例を作りた
い」と大脇氏。これまでに I ターンの 7 名が 3 年間の研修を終え、現
在も 4 名が研修中だ。研修を終えた 7 名のうち2名は牡蠣養殖業で
独立するまでになった。独立 3 年目になる人の中には、年間 600 万
円程の水揚げをしている人もいる。現在も「海士のいわがき春香」の
売れ行きは好調で供給が追いつかない程の状況が続いている。今後、
海士町とも更なる協力をして、年間生産量 50 万個(1 億円)を目指す。
1億円と言えば海士町の「トップ産業」になることを意味する。「(漁
業は)儲かるんだ。儲けるんだ」ということを世間の人に知らせたい。
海士いわがき生産株式会社は、設立当時から事務所や作業場として
町が建設した施設を使うなど、海士町の強い支援を得て成長をしてき
た。同時にブランド「海士のいわがき春香」は海士町が商標登録を行い、
町の代名詞にもなっている。まさに、町と一次産業生産者が強力なタッ
グを組んでブランドを作っている。他にも東京進出の際には海士や島
根県出身者が経営している飲食店を町から紹介してもらったり、一緒
に営業活動に回ったりしたそうだ。行政が理解を示し協力してくれた
ことが成功の大きな要因でもある。